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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)5207号 判決 1982年12月24日

原告 中村和彦 外二二名

被告 新聞輸送株式会社

主文

被告は、原告らに対し、別紙債権目録(一)の認容金額欄記載の各金員及びこれに対する昭和五五年五月三一日から完済に至るまで年五分の割合による各金員を支払え。

原告らのその余の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  (主位的)

被告は、原告らに対し、別紙債権目録(二)の請求金額欄記載の各金員及びこれに対する昭和五五年五月三一日から完済に至るまで年五分の割合による各金員を支払え。

2  (予備的)

被告は、原告らに対し、別紙債権目録(三)の請求金額欄記載の各金員及びこれに対する昭和五二年二月二八日から完済に至るまで年五分の割合による各金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告会社は、新聞発行五社(朝日、読売、毎日、日本経済、東京中日)の共同出資によつて設立された新聞輸送を業とする株式会社で、千代田区平河町及び港区芝浦の二か所に共同輸送センター(以下、「平河町センター」、「芝浦センター」という。)を有するものであり、他方、原告らは、被告会社の臨時従業員として採用され、右センターで夜間の荷扱い業務などに従事していた者である。

2  原告らは、昭和五一年一〇月二〇日から同五二年二月二七日までの間、被告に対して労務を提供しようとしたが、次の事情により労務を提供することができなかつた。

(一) 被告会社は、原告らの所属する全臨時労働者組合(以下「全臨労」という。)をつぶすことを企て、拓殖大学国防部の学生である松島成佳や橋本秀昭らあるいは帝国警備保障の元ガードマンなどを正社員や臨時労働者として採用した。松島など右学生らは、同五一年一〇月一二日に亜細亜青年労働者会議・日本臨時労働者組合有楽町荷扱い支部(以下「日臨労」という。)を組織し、被告会社は、右日臨労に対して組合事務所提供の便宜を与えるなどして、原告ら全臨労の者を被告会社から排除しようと企図していたところ、同月二〇日の夜に至り、右日臨労の松島や正社員の橋本らは、非従業員である仲間の右翼の者を平河町センターに連れて来てたむろさせ、同日午後九時三〇分頃、出勤してきた原告出渕、同武部、同谷口及び同三田らの全臨労所属の従業員を同センターの控室に閉じ込め、やにわにヌンチヤクや木刀、手拳をもつて襲いかかり、同人らの身体各部を殴打し、足蹴りするなどして暴行を加え、原告出渕に全治一〇日間の後頭部外傷、皮下血腫、同武部に加療一〇日間の右足関節部打撲、左側頭部打撲、同谷口に全治一週間の頭部打撲の各傷害を負わせた。

この間、被告会社の職場管理者は、松島らが仲間の非従業員らをたむろさせていたのを知りながらこれを黙認し、また、原告出渕らが控室に閉じ込められる際にも特に松島らを制止することなく放置して、本件暴行事件の発生を助長した。

(二) 同日以降、原告らの職場である平河町センターには非従業員の右翼の者達が常時たむろしていて右翼暴力団の宿舎と化し、原告ら全臨労の従業員が近寄れない状態となつた。原告らは、被告会社に対して、本件暴行傷害事件の責任の所在を明らかにしたうえ、暴力を振つた右翼の従業員らを解雇し、職場の安全な秩序を回復するよう求めたが、被告会社は、右事件は「組合同士の乱闘」であるなどとして具体的な安全確保措置をとることなく、同年一一月一九日に至つて原告らに対して就労するよう通告したが、この通告も安全確保について何ら具体的な裏付けのあるものではなかつた。

(三) また、被告会社は、同五二年一月一九日、原告らに対して平河町センターにではなく、暫定的に芝浦センターに就労するよう通告してきた。しかしながら、全臨労と被告会社との間で締結された同五一年五月一四日付確認書によれば、原告らは、平河町センターでの業務終了後に芝浦センターへ行つて就労することになつており、被告の責に帰すべき事由によつて発生した事情によつて一方的に右確認書の内容を変更することは許されず、右芝浦センターへの就労命令は無効である。

3  以上のとおり、原告らは、右期間就労することができなかつたのであるが、これは、前記事実から明らかなように「債権者ノ責ニ帰スヘキ事由ニ因リテ履行ヲ為スコト能ハサルニ至リタルトキ」(民法五三六条二項)に該当するから、原告らは右期間の賃金請求権を失わない。

4  (一) ところで、原告らの賃金については、昭和五一年五月一三日に原告らの所属する全臨労と被告会社との間において次のような労働協約が締結されている。

(1) 賃金(日給)

二一時出  四、八〇〇円

二三時出  三、六〇〇円

(2) 深夜割増手当(日給)  一、一八〇円

(3) 住宅手当  (月額)  五、〇〇〇円

(4) 家族手当  (月額)

妻     六、〇〇〇円

子(一人) 三、〇〇〇円

(5) 精勤手当(一か月間に二〇日間以上勤務した者に対して月額) 六、〇〇〇円

したがつて、原告らが就労できなかつた期間の賃金合計額は別紙計算表(第二)に記載のとおりである。

(二) また、昭和五一年一二月の一時金については、同年六月一日から同年一一月三〇日までの間に二勤一休の割合で一二二日以上出勤した者を出勤率一〇〇パーセントとし、これを基準として九〇パーセント以上出勤した者に対して金二二万四〇〇〇円を、出勤率が九〇パーセント未満の者に対しては右二二万四〇〇〇円に出勤率を乗じた額(但し、五〇〇円以下の端数は五〇〇円に、五〇〇円を超え一、〇〇〇円未満の端数は一、〇〇〇円に、それぞれ切り上げる。)を、支給するものとされており、原告らが同年一〇月二〇日以降も二勤一休の割合で勤務しえた場合に支給されるべきであつた同年の冬期一時金は冬期一時金計算表の支払われるべき金額欄に記載のとおりであるにもかかわらず、原告らに支払われた右一時金は同計算表の既払額欄記載のとおりであるから、原告らは被告会社に対し同計算表の差額欄記載の一時金差額の請求権がある。

(三) したがつて、原告らは、右期間の賃金と一時金差額の合計として、別紙債権目録(二)記載の賃金等請求権がある。

5  仮に、右原告らの就労不能が民法五三六条二項に該当しないとしても、前記事実関係に照らせば、これが労働基準法二六条にいう「使用者の責に帰すべき事由」に該当することは明らかである。したがつて、原告らは、被告会社に対し、別紙債権目録(三)記載のとおり、前記計算表(第二)の賃金の六割にあたる休業手当の支払請求権を有する。

6  よつて、原告らは、被告に対し、主位的に民法五三六条二項により賃金及び一時金差額の合計として別紙債権目録(二)記載の各金員及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和五五年五月三一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払を求め、予備的に労働基準法二六条により休業手当として別紙債権目録(三)記載の各金員及びこれに対する弁済期後である昭和五二年二月二八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2につき、

(一) 同冒頭部分のうち、原告らが、昭和五一年一〇月二〇日から同五二年二月二七日までの間、労務を提供しなかつたことは認める。

(二) 同(一)のうち、松島や橋本らが被告会社の従業員であつて、同人らが、原告出渕、同武部、同谷口及び同三田らに対して、昭和五一年一〇月二〇日に暴行を加え、これによつて原告出渕、同武部及び同谷口が、同人ら主張のような傷害を負つたことは認め、その余は争う。とりわけ、被告会社が全臨労をつぶす意思を持つていたとの点は否認する。

(三) 同(二)のうち、昭和五一年一〇月二〇日から同月二二日までの間は、本件不祥事の発生にあわてたためと新聞輸送業務という社会的使命の完遂を第一義として処理したため、被告会社の安全対策にも不十分な点のあつたこと、原告らが被告会社に対して松島や橋本らの解雇を要求したこと、被告会社が原告らに対して再三就労するよう通告したことは認め、その余は争う。

(四) 同(三)のうち、被告会社が原告らに対して、昭和五二年一月一九日に芝浦センターへの分離就労を通告したこと、被告会社と全臨労との間で同五一年五月一四日付確認書が取り交されていることは認め、その余は争う。なお、原告らは昭和五一年五月一四日付確認書によつて、原告ら全臨労に所属する者の職場が平河町センター及び芝浦センターの両方に決まつているから、芝浦センターのみの就労を命ずることは労働協約に反すると主張するが、同確認書には「平河町、芝浦センターの荷扱業務については新聞輸送直接雇用者をもつて行なう。」とあり、また、これと関連する同日付の都労委立会による協定書にも「平河町および芝浦センターの荷扱業務については直接雇用とする。」とあつて、その意味するところは、「直接雇用」にあるのであつて、平河町センター及び芝浦センターの両方が原告らの職場として取極められたと解することはできない。

3  同3は争う。

4  同4につき、原告ら主張の内容の労働協約が締結されていること、原告らが昭和五一年一〇月二〇日から翌五二年二月二七日までの間、二勤一休の割合で就労したならば、別紙計算表(第二)記載の賃金・手当等を取得したであろうこと、原告らが同五一年の冬期一時金の支給対象期間である同年一〇月二〇日から同年一一月三〇日までの間、前同様に就労したとするならば、別紙冬期一時金計算表の支払われるべき金額欄記載のとおりの冬期一時金を取得したであろうこと、及び被告会社が同計算表既払額欄記載のとおり原告らに対して冬期一時金を支払つたことを認め、その余は争う。

5  同5は争う。

6  同6は争う。

三  抗弁

1  被告会社は、原告らに対し、事件当日である昭和五一年一〇月二〇日分の賃金を支払つている。

2  被告会社は、事件の二日後である昭和五一年一〇月二二日、全臨労及び日臨労と団交をもち、業務を常態に復させるべく話し合つた結果、日臨労に二度とそのような不祥事を起こさない事を確約させ、さらに、翌二三日からは、現場監督専従者を一名から二名に増員したほか、職制六名を臨時の現場監督として合計八名の監督員を配置して監督員対臨時労働者の人数比を一対二・五とするなど安全対策を施したのであるが、原告らは、日臨労所属の者の解雇以外に職場の安全を確保する方法はないと繰り返し、他の具体的な就労条件を示すこともなくただ一方的に就労を拒否したのであつて、右二三日以降は、原告らは自らの判断でその就労義務を履行しなかつたのであるから、賃金請求権は発生しない。

3  仮に右一〇月二三日の時点で平河町センターの安全確保が必ずしも万全ではなかつたとしても、同日以降、被告会社の努力によつて徐々に職場秩序が回復に向つていたのにもかかわらず、同年一一月二七日早朝、原告ら全臨労の者達約四〇名が、ヘルメツトや旗竿を準備したうえ、日臨労の者らが仮眠していた有楽町の被告会社三階控室に殴り込みをかけ、実力闘争を展開したために日臨労側が態度を硬化させ、もしも原告らが平河町センターで就労したならば再び暴力発生の危険が生じたのであるから、同日以降原告らが労務を提供しえなかつたのは原告らの責によるものであり、被告会社が責を問われる理由はない。

4  さらに、被告会社は、右一〇月二三日の原告らの行為によつて安全確保が問題になつたため、昭和五一年一二月 日以降、芝浦センターへ就労するよう命じて、平河町センターの日臨労の者らと就労する場所を分離したのであつて、しかも、右分離就労命令は、前記のとおり、同年五月一四日の確認書に反するものではないから、これに従わずに就労を拒否した原告らは、就労義務を履行しなかつたのであるから、その間の賃金請求権は発生しない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は争う。

2  同2のうち、昭和五一年一〇月二二日に被告会社と全臨労との団交の機会が持たれたこと、原告らが被告に対して日臨労所属の者の解雇を求めたことは認め、その余は争う。

3  同3のうち、原告らが、同年一一月二七日に有楽町の被告会社控室に詰めかけたことは認め、その余は争う。

4  同4のうち、被告会社から原告に対して芝浦センターに就労するよう命令があつたこと自体は認めるが、その日時ほかその余は争う。

第三証拠<省略>

理由

一  主位的請求(賃金請求権)について

まず、原告らの雇用契約に基づく賃金請求権の有無について判断する。

1  被告会社は新聞発行五社(朝日、読売、毎日、日本経済、東京中日)の共同出資によつて設立された新聞輸送を業とする会社であつて、原告らは、被告会社の臨時従業員として新聞輸送業務に従事していた者であるところ、昭和五一年一〇月二〇日被告会社の共同輸送センターの一つである平河町センターにおいて、原告ら全臨労に所属する従業員が、対立関係にあつた日臨労の従業員及びその仲間の非従業員らに暴行され、原告出渕が後頭部外傷、皮下出血など全治一〇日間、同武部が右足関節部打撲、左側頭部打撲など全治一〇日間、同谷口が頭部打撲など全治一週間の各傷害を負つたほか、数名が軽度の傷害を負つたことこれにより、原告ら全臨労に所属する従業員は、職場での安全が確保されていないとして、同日から翌五二年二月二七日までの間、就労しなかつたこと、原告らが右期間内に二勤一休の割合で就労したならば、別紙計算表(第二)記載の賃金、手当等を取得したであろうこと、原告らが同五一年の冬期一時金の支給対象期間である同年一〇月二〇日から同年一一月三〇日までの間、前同様に就労したとするならば、別紙冬期一時金計算表の支払われるべき金額欄記載のとおりの冬期一時金を取得したであろうこと及び被告会社が原告らに対して同計算表既払額欄記載のとおり冬期一時金を支払つたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、また、右期間のうち、一〇月二〇日から同月二二日までの三日間については、事件発生によつて生じた混乱に伴い職場の安全確保対策が不十分であつたことは被告会社も自認するところである。

2  前記当事者間に争いのない事実と成立(写については原本の存在及び成立とも。)につき当事者間に争いのない甲第一ないし第一〇号証、第一二ないし第二三号証、第二五号証、同乙第三ないし第六号証、第八ないし第一〇号証、第一三ないし第二〇号証、第二四号証、原本の存在については当事者間に争いがなくかつ原本及び写の成立については弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第二三号証(甲第一八号証に同じ。)、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第二九号証並びに証人遠藤勲司の証言及び原告出渕裕明本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  被告会社は、在京新聞発行五社の新聞を共同で輸送するために設立された株式会社であつて、千代田区有楽町に本社が、同区平河町及び港区芝浦の二か所に輸送センターがあり、その業務は、右五社からセンターに持ち込まれた各社の新聞を各行先別のトラツクに積み替える荷扱業務と各トラツクに同乗して各地で荷降を行うコース業務とがある。

他方、原告らは、全臨労に所属する被告会社の臨時従業員であつて、二日出勤一日休みの割合(二勤一休)を標準として就労し、就労日は、通常、午後九時もしくは午後一一時に有楽町本社三階の控室に出勤してそこから会社のマイクロバスで平河町センターや芝浦センターに行つて荷扱業務やコース業務に従事した後、各センターの控室や本社の控室に戻つて休憩をとつたり仮眠したりしていた。そして、右作業に際しては、使用トラツクの積載量に大小がありいずれの便を担当するかによつて作業に軽重があるため、荷扱監督などの職制が臨時従業員の出勤状況などを勘案し各トラツクごとの担当者を配置するものとされていたが、平河町センターでは、実際には従前から荷扱監督の下で原告出渕など全臨労に所属する者が右配置を行つていた。

(二)  被告会社においては、昭和四七年の春闘の際に全臨労との間で交渉が決裂し、会社は、同年五月二四日以降平河町センターのロツクアウトを実施したが、この時、ガードマンを導入して全臨労組合員を排除する一方、訴外河野興業株式会社を下請として業務を行わせたため、労使間の紛争が激化しただけではなく、全臨労組合員らと河野興業の従業員らとの間でも対立緊張関係が生じていたところ、労使双方は、同五〇年八月一日付で出された東京都地方労働委員会の要望を受け入れて、同月八日付で、<1>会社は昭和四七年五月二四日以降の平河町センターにおけるロツクアウトを無条件解除し、同五〇年八月八日付をもつて組合員の原職復帰を認める、<2>会社は平河町センターにおける河野興業株式会社との荷扱下請契約に関する契約を遅くともその契約期間満了期日(五一・六・三〇)までには解約できるようとりはからう、<3>右解約後の平河町センターにおける雇用形態(直接、間接)については、会社組合間で精力的に協議し(三か月を目途とする。)、解約期日一か月前に結着をみるよう努める、などを内容とする協定を締結し、これを具体化するため、同五一年五月一四日付で、(ア)平河町センター及び芝浦センターの荷扱業務については直接雇用とする、(イ)右直接雇用形態は同年七月一日からとする、などの点について協定を結び、さらに同日付で、(a)右作業を行う臨時労働者の総雇用数は三〇名とする、(b)採用については、会社は組合の推薦者であることを理由に差別を行わない、などの点を確認した。

被告会社は、右協定及び確認事項に基づき、同年六月から臨時従業員を採用するための準備を行い、同年八月までに全臨労の推薦者六名を含む一九名の臨時従業員を採用したが、その際、社長ほか幹部は、全臨労は攻撃型の組合であるから何とかその活動を抑制することが被告会社の将来にとつて必要であると判断し、全臨労とバランスをとるため、後に日臨労有楽町支部を結成して本件暴力事件を起こした拓殖大学の松島成佳らのいわゆる右翼的思想を持つ者も同数程度採用した。また、会社は、ほぼ同時期に、先の労使紛争で下請の河野興業の従業員として全臨労と対立していた橋本秀昭のほか、後に右翼団体一水会系の者らと共に経団連ビル占拠事件に参加した者や、大日本赤誠会に所属して尖閣列島ボート上陸事件を起こした者などいわゆる右翼の者達を正社員として採用した。

(三)  被告会社に入社した松島は、右橋本と相談のうえ、全臨労に対抗するために、同時期に臨時従業員として入社した木村、中島、中川、大町、下地、新行内らに呼びかけ、民族派労働組合の先駆を標榜し、宮城賢秀を総長とする亜細亜青年労働者会議を上部団体として、同年一〇月一二日に日臨労を結成し、同月一四日、被告会社に結成を通告して、全臨労が作業配置を決定しているのは不合理ではないかなどの点につき団体交渉の申し入れを行つた。さらに、日臨労の松島らは、正社員の橋本や非従業員の宮城総長らと相談のうえ、従業員の配置の決定などをめぐる全臨労の活動を実力で押え込もうと計画し、同月二〇日、平河町センターに仲間の非従業員の右翼を召集のうえ全臨労に攻撃を仕かけることとし、同日夕方頃までに木刀やヌンチヤクなどを運び込み、仲間の非従業員をたむろさせた。

同日午後九時四〇分頃、原告出渕らが平河町センターに到着したところ、控室内外に、日臨労の者らが仲間の非従業員らと多数たむろしていたので、原告中村及び同三田らが、平河町センターの川崎荷扱監督に対して、非従業員を控室から外へ出すよう求めたのにもかかわらず、川崎監督は、日臨労系の正社員である斎藤及び田崎に対し、仲間の非従業員を退去させるよう言つただけで、右の者を排除せずに放置した。

同日午後一〇時一〇分頃、日臨労の者が、平河町センターにいた従業員らに対して、控室に入るよう指示し、全臨労側は原告出渕ら合計約一〇名が、日臨労側は、松島ら臨時従業員(日臨労組員)六名、橋本ら正社員四、五名のほか、非従業員である宮城総長ら約一〇名が控室内に入つた。控室内が一杯になつたところで、日臨労系の者が、「これから日臨労と全臨労が話をする。関係のないと思う者は出て行け。」と口火を切り、橋本が川崎監督を控室から追い出し、さらに、松島などが乱闘服姿の右翼数名を控室内に招じ入れた後、控室のドアと窓を締めた。そこで橋本が「この一年半のうらみを徹底してはらさせてもらう。」「まず、お前からだ。」などと言いながら、やにわに椅子に座つていた原告三田の左側頭部付近を回し蹴りしたのをきつかけに、日臨労系の者達がいつせいに原告ら全臨労の組合員に襲いかかり、とりわけ、原告出渕、同武部、同谷口などは集中攻撃を受けて、それぞれ顔面、腹部、上下肢などを殴られたり、足蹴りされたり、毛髪を引つ張られたりしたほか、倒れていた原告出渕は頭部をヌンチヤクで殴打されて出血し、その上に同谷口、同田中が折り重なつて倒れ、さらに、同武部もヌンチヤクで殴打されたが、急報で警察官や救急車が駆けつけたため、ようやくその場はおさまつた。この間、川崎監督は、控室のところで松島らを制止しようとしたが、日臨労系の者にはがい締めされて室外に連れ出され、何ら制止することができなかつた。そして、この事件によつて、原告出渕は後頭部外傷、皮下出血などによつて全治一〇日間の傷害を、同武部は右足関節部打撲、左側頭部打撲などによつて全治一〇日間の傷害を、また、同谷口は頭部打撲などによつて全治一週間の傷害を、それぞれ負つたほか、原告らのうち数名が擦過傷や軽い打撲などの傷害を負つた。なお、松島及び橋本は、同年一二月二〇日にこの件でそれぞれ罰金五万円に処せられている。

同事件当日、原告出渕ら全臨労の者は負傷などによつて作業ができなくなつたので、暴力を振つた日臨労の松島らが、連れて来ていた宮城総長ら仲間の非従業員達を指示して業務を行い、被告会社も当面の業務処理のためにこれを是認し、翌二一日、二二日も松島らのグループで作業を行つた。

(四)  被告会社は、本件暴力事件の真相究明はさておき、新聞輸送業務の遂行を第一義として、同月二二日に、日臨労に対しては、<1>職場内における暴力行為を絶対に行わないこと、<2>被告会社と関係のない者を職場内に立ち入らせないこと、<3>雇用関係のない者に対しては就労しても賃金を支払わないこと、の三点を、また、全臨労に対しては、<1>職場内における暴力行為を絶対に行わないこと、<2>早急に平常通り就労すること、の二点を、それぞれ申し入れた。

これに対して、全臨労側は、同日、被告会社に対して、平河町センター及び本社の各控室は、事実上、日臨労系の者らに占拠されていて使用できないし、職場の安全も確保されていないので就労できないとしたうえ、次の諸点、すなわち、(ア)昭和五一年一〇月二〇日以降就労開始までの間の賃金保障、(イ)負傷者七名の治療費及び見舞金の支払、(ウ)本件暴力行為を行つた松島らの解雇、(エ)今回の件についての謝罪、(オ)職場の安全確保を被告会社に対して要求した。

同日の夜になつて、被告会社は、全臨労に対して、平河町センターの安全を確保するため、翌二三日の夜から職制八名を配置し、さらに警察官のパトロールを依頼したことを挙げて、同夜から従前通り就労するよう通告した。これに対して、原告ら全臨労は、職場の安全が確保されるならば就労するつもりであるが、右の程度では未だ安全ではないとして就労しなかつた。

右一〇月二三日以降、被告会社が平河町センターに配置した職制は、従前からの川崎監督(当時五四歳)のほか、専門の監督一名、新聞発行五社にいる共同輸送の管理者各一名、被告会社の本社から交替で派遣する管理者一名など合計八名であつたが、いずれも中高年齢者で、その大部分は監督業務に不慣れであつた。また、被告会社は、同月二二日付で日臨労に対して非従業員を就業させないよう併せて通知したが、現実に松島らの仲間の非従業員が作業に従業しないときは、新聞輸送業務が遂行し得なくなるため、各下請運輸会社等に対して、各社三名ずつ作業員を補填するよう指示し、これによつて、松島らの実質上の指導者でかつ本件暴力を振つた宮城総長らの非従業員は、各下請会社の臨時従業員として採用され、引き続き同センターで就労し続け、会社もこれを黙認したので、結局、右会社の通知は単に非従業員の就労を禁じただけで、その実態は従前と変わらなかつた。そこで全臨労の原告らは、同年一〇月二九日ほか団体交渉のたびに、このような状況では職場での安全が万全ではないとし、いわゆる右翼とされる者らを職場から排除するよう求めて就労せず、これに対して、被告会社は、団体交渉の席上、安全対策は尽されているとして就労するよう通告するのみで、その実態を改めようとしなかつた。

その後、被告会社は、昭和五一年一一月一〇日付で、本件暴力行為は、全臨労対日臨労の争いであつて、会社の関知するところではなく、しかも全く予期しない偶発的なもので、会社としては不可抗力的なものと考えていること、管理監督の面ではかならずしも十分であつたとは考えていないが、その場の情況から判断するかぎりやむをえなかつたと考えていること、組合の慰藉料請求などには応じられないこと、さらに、早急に就労すべきこと、を通知したが、原告らは、これまでの主張に応えるものではないとして、就労できないとの姿勢を崩さなかつた。

同年一一月二六日、都労委の立会団交が開催され、原告ら全臨労は職場の安全確保対策の確立を求め、被告会社は早急に就労するよう求めて対立し、また、原告らが、有楽町の本社三階控室内の原告らの個人用ロツカーの私物などが宮城総長ら右翼の者によつて荒らされていると主張したために、急きよロツカーが封印されることとなり、会社の遠藤取締役らと共に原告中村らが同控室に入つたところ、同控室は、扉に「日臨労組合事務所」という大きな貼り紙がなされていて、宮城総長ら右翼の者が占拠し、ロツカーには、「個に死して国家に生きよ」「今に死して歴史に生きよ」「告!!一、無断欠勤=即クビ。一、届出欠勤は前日までに宮城へ申し出のコト。宮城」などと書いたビラが貼付され、ロツカー内の原告らの私物は紛失していた。

翌日の早朝、原告ら全臨労の者は、新聞輸送分会以外の者をも動員して、ヘルメツトや旗竿などを準備したうえ総勢約四〇数名で本社三階控室に押しかけ、同控室内にいた日臨労系の者を排除しようとした。これによつて、日臨労系の者は、態度を硬化させ、再び一触即発の状態となつた。被告会社は、日臨労系の者が態度を硬化させたため、日臨労系の者と原告ら全臨労の者とを同じ職場で働かせたならば、もはや会社の配置した職制をもつてしては、暴力事件の再発を未然に防止することは困難であると考えるようになつた。

(五)  そこで被告会社は、宮城総長ら日臨労系の者をそのまま平河町センターで、原告ら全臨労の者を芝浦センターで、それぞれ分離して作業にあたらせることを考えるに至り、同年一二月二四日の団体交渉において、全臨労に対し、新たな会社案として、<1>荷扱職制の増員、<2>本社三階控室に一定時間だけ監督を常駐させる。<3>暫定的な芝浦センターへの分離就労、<4>段階的な平河町センターへの移行、を内容とする解決案を提示した。これに対して全臨労は、芝浦センターのみでの就労命令は同年五月一四日の確認書に違反するものであること等を理由としてこれを拒否し、被告会社は、その後、同五二年一月一九日、二月二日、同月一〇日にも芝浦センターへの分離就労を提案して原告らと交渉し、その結果、同月二八日になつてようやく合意に達し、原告らは暫定的に芝浦センターに就労することとなり、日臨労の暴力事件を契機として発生した本件紛争は、就労問題については一応の結着をみることとなつた。

3  ところで、雇用契約に基づいて使用者が労働者から労務の提供を受ける場合において、使用者は、労働者に対し、雇用契約に付随する信義則上の義務として、労務の提供に必要な諸施設を労働者の利用に供することはもとより、労働者の労務の提供及びその準備行為等が安全に行われるよう配慮すべき義務を負つているものと解されるから、使用者が右の義務を尽さないために労働者が労務を提供しようとすればその生命及び身体等に危害が及ぶ蓋然性が極めて高く、そのため労働者において労務を提供することができないと社会通念上認められる場合には、労働者の使用者に対する労務の給付義務は履行不能に帰し、しかもその履行不能は使用者の責に帰すべき事由による履行不能に当たるものと解するのが相当である。そうすると、この場合、労働者は民法五三六条二項によりその間の賃金請求権を失わないものといわなければならない。

本件についてこれをみるに、前記日臨労系の者の原告らに対する行為は、ヌンチヤクや木刀などの凶器を事前に準備して行われた計画的かつ危険性の高い暴力行為であり、これによつて原告出渕らは頭部などに傷害を負つたのであるから、原告らが日臨労及びその仲間の者に対して、強度の恐怖心を抱いたであろうことは推測に難くない。加えて、松島らこのような事件を引き起こした者達は、そもそも被告会社が原告ら全臨労の者の活動を抑制するために採用した者であつて、被告会社は、本件暴力事件の中心となつた松島及び橋本に対して、昭和五一年一二月まで何ら処分をせずに放置しただけではなく、松島らの実質的な指導者で、民族派青年の労働組合を標榜している宮城総長ら非従業員に作業を行わせ、形式的には、事件の翌々日である同年一〇月二二日をもつて同人らの作業を禁じたものの、実際には、翌二三日以降同五二年二月二八日に至るも、同人らが下請運送会社の臨時従業員として引き続き平河町センターで作業することを黙認し、また、日臨労系の者らが従業員の集合場所でかつ深夜業務のための休憩所、仮眠所である本社三階の控室を「日臨労事務所」の掲示を挙げて占拠することをも黙認して、安全確保のために同人らを排除してほしいという原告らの要求を無視し続けたのであるから、被告会社には、暴力事件の再発を防止し、職場での安全を確保しようとする努力が十分ではなかつたといわざるを得ない。そうすると、原告らがこのまま平河町センターで就労を開始したならば、再び日臨労系の者から集団暴行を受け、その生命及び身体に危害を加えられる蓋然性が極めて高かつたものというべきであるから、原告らは、被告会社においてさらになんらかの安全確保の施策を講じない限り同センターにおいて就労することができなかつたものと認めるのが相当であつて、原告らの被告会社に対する労務給付義務は、社会通念上履行不能に帰し、しかも、その履行不能は被告会社の責に帰すべき事由による履行不能に当たるといわなければならない。

被告会社は、同年一〇月二三日以降、職制八名を配置したことなどで職場の安全を確保したと主張するが、前記のとおり、右八名の職制はいずれも中高年齢者で体力に劣り、監督業務に不慣れであつたばかりでなく、仮に日臨労系の者が仲間の右翼的な非従業員等を召集して本件と同様の暴力事件を企図するならば、その人数からみても、到底これを防止しうるものではないことが明らかであるから、被告会社の右主張はこれを採用することができない。

また、被告会社は、原告ら全臨労の者らが、同年一一月二三日早朝に、本社三階の控室に押しかけ、これを契機として日臨労の態度が硬化したため、平河町センターの安全確保が困難になつたのだから、同日以降は、原告らが自らの責任で就労しえない状態を引き起こしたものであると主張する。なるほど、同日の原告らの行為は穏当なものであるとは言い難いけれども、原告らがこのような行為に出た契機は前述のとおり被告会社の対応が不適切で不誠実なものであつたことにあり、被告会社において、負傷した原告らの要求に対して誠意をもつて対応し、しかも本件日臨労の暴力に対して厳正な態度で臨んで職場の安全を確保しさえすれば、原告らがこのような行為に訴えることはなかつたと考えられるのみならずもともと、前記のとおり、原告らの右行為の有無にかかわらず、平河町センター等の安全確保は不十分であつて被告会社の責に帰すべき事由による履行不能の状態が継続していたのであり、原告らの右行為によつて新たに履行不能の状態が作出されたものではないのであるから、被告会社の右主張も採用することができない。

ところで、被告会社は、昭和五一年一二月二四日から芝浦センターへの分離就労を命じた時点をもつて、職場の安全は確保されたと主張するので、この点について判断するに、この被告会社の分離就労の提案は、日臨労系の者を平河町センターのみで就労させ、原告ら全臨労の者を芝浦センターのみで就労させることとするものであつて、この分離就労によつて、日臨労及びその仲間の者と原告ら全臨労の者とは、完全に就労場所が分離され、両者は全く接触することなく業務を行うことが可能となるのであるから、このような分離就労であれば、原告らの生命及び身体等に危害が加えられるおそれはないと考えられる。そうすると、同日以降は原告らが現実の労務の提供を行うについて特段の支障はなくなり、被告会社の責に帰すべき事由による履行不能状態は解消されたものと解するのが相当である。なお、原告らは、昭和五一年五月一四日付確認書によつて、平河町センター及び芝浦センターの双方が原告らの就労場所として特定されていたから、これを一方的に変更して芝浦センターのみでの就労を命じることはできないと主張するが、前記の認定事実に照らし、右確認書についてのこのような解釈は原告ら独自のものにすぎず採用できない。したがつて、右一二月二四日以降については、原告らは芝浦センターへの就労を拒否することはできず、現実に芝浦センターで労務を提供することが必要であるというべきところ、原告らは同センターで現実の労務を提供していない。

4  右によれば、本件事件当日である昭和五一年一〇月二〇日から芝浦センターへの分離就労を命じた同年一二月二四日の前日である同月二三日までの間については、被告会社の責に帰すべき事由によつて原告らは労務を提供しえなかつたのであるから、民法五三六条二項によりこの間の賃金請求権を失うことはないというべきであるが、芝浦センターへの分離就労を命じられた同月二四日以降については、原告らは現実に労務を提供することが可能であつたのに独自の判断に基づいてこれをしなかつたのであるから、賃金請求権は発生しないものといわなければならない。

そして、別紙計算表(第二)及び冬期一時金計算表それ自体については当事者間に争いがないから、原告らが、昭和五一年一〇月二〇日から同年一二月二三日までの間に二勤一休の割合で勤務したならば、この間の給与及び同年度冬期一時金の差額として、別紙計算表(第一)及び冬期一時金計算表記載のとおりの金員の支給を受けることができたと認められしかも、同年一〇月二〇日分の給与を被告が原告らに支払つたとの証拠はないからこの点の被告会社の抗弁は理由がないこととなり、結局、原告らは、被告会社に対し、別紙債権目録(一)の認容金額欄記載の各賃金等の支払及びこれらに対する訴状送達の翌日である昭和五五年五月三一日から右支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利を有することとなる。

二  予備的請求(休業手当)について

予備的にされた休業手当の請求については、原告らの主位的請求の認められる昭和五一年一〇月二〇日から同一二月二三日までの分を除き、同月二四日以降について判断する。

被告会社が原告らに対して、同月二四日以降、芝浦センターへの分離就労を命じ、原告らがこれを拒否すべき正当な理由がないにもかかわらず就労しなかつたことは前記認定・判示のとおりである。したがつて、同日以降の原告らの不就労は、労働基準法二六条に定める使用者たる被告会社の責に帰すべき事由による休業に当たらないから、同条に基づく原告らの休業手当を求める予備的請求は理由がない。

三  結論

以上によれば、原告らの主位的請求のうち、昭和五一年一〇月二〇日から同年一二月二三日までの賃金と同年度の冬期一時金の差額の支払及びその各遅延損害金の支払を求める部分は理由があるから、これを認容し、原告らのその余の主位的請求及び予備的請求については理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文及び九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宍戸達徳 杉本正樹 須藤典明)

別紙 債権目録(一)、(二)、計算表(第一、第二)、冬期一時金計算表<省略>

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